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Working on the Highway

drkato.exblog.jp

エコとエゴの両立

全ての事は良い方向に

以前サッカーブログで書いた長くなる話の結論に至らない結論です。

18歳で自動車免許を取ってから大学までは車通学をしていました、今では考えられない事ですが教養課程のある八王子校舎は当時まだ学生の駐車場も完備されていたのです。その頃ボクは競技スキー部に属していました、競技スキーをやる連中はスピードの出る物が好きです、ボクの先輩や同級生も車好きが多く夜な夜な中央高速や多摩ニュータウン近辺を走っていたものです、ですからそれなりに車の運転には自信(過信w)がありました。

何度か少しばかりのスピード違反で捕まるような事もあったし、親からのお下がりである古いクラウンを百草団地の電柱にぶつけて廃車にした事もありました。それでも大きな事故や違反も無く八王子の教養課程を終えて板橋の専門課程校舎での勉学に励む事になったのです、そんなある夜の事・・・。

事故を起こさない程度のスピードを出す事は法律違反になるとしてもボクの中では悪い事では無いのだと今でも思っているような子供のままのボクです、今よりもっと子供であった当時のボクは高速道路でも無い環状7号線でもスピードリミッターを効かせながら走るような事もありました(時効ですからw)。ある夜のこと、環七外回りの3車線になっているところで全開走行していたボクのソアラは信号のある交差点に差しかかる少し前でガスペダルから右足を離し軽くブレーキを踏んだのです、減速してもなおエレクトロマルチビジョンが140km/h程度を表していたその時に左前方に赤いストロボが・・・。オービスです、そこにオービスがあると知っていたのに気が抜けていたボクは見事に写真に撮られてしまったようです・・・。

3・4ケ月してから警視庁から出頭命令が来ました、桜田門の本庁に出頭したボクに優しそうな警官が言いました、”君〜頑張ったね〜、今年の3位だよ”って、おもいきり嫌味ですw、実際は117km/hの走行で77km/hの速度超過です、当時の環七は40km/h制限だったのです。書類送検になりしばらくして今では売却されてしまった様子の西が丘にある東京地検第2庁舎への出頭命令が来ました、色々な地検に出頭慣れしているボクは今回も大した事ないだろうとタカを括って、慣れ親しんだ十条駅から西が丘までトボトボと歩いて出頭したのです、思いもしない悲劇が自分の行動によって起こるとも知らずに・・・。

まだ20歳のボクは自分が無敵だと信じていました、世の中の全ては自分の思い道理の結果になる、今回の違反でも簡易裁判で赤切符を切られて数万円の反則金を払ってお終い、90日の免停も講習を受けて30日間車を運転出来ないだけ、少し我慢すればそれで済んじゃうから全然楽勝だね、世の中を舐めきっているボクは検察官の前に足を組んで踏ん反り返って座ったのです。

鋭い目をした初老の検察官は最初にこう言いました、”20歳の学生が親に買ってもらった高級車でえらくスピードを出したものだね?”。ボクの頭の中で何かが弾けました、明らかに敵意を持つ相手にボクは更にぞんざいになりました、「親に買ってもらった車で何が悪い?」、ボクは法律違反しているにも関わらず悪く無いじゃんという考えになっていたのです。反省の態度の欠片も無いボクに検察官は言いました、”簡易裁判じゃなく地裁に行ってもらう”、道路交通法違反での刑事事件として東京地方裁判所での裁判が決定したのです、日本で裁判所送りになるという事はほぼ実刑が待っています、犯罪者になるのと同義だという事は今も昔も変わりません。

人を傷つけたわけでも無く、物を破壊したのでも無いスピード超過で地方裁判所での普通裁判にかけられる事は異例だったと今でも思っています、当時のボクにも理解に苦しむ事でした。それでも今では反省のみじんも無い犯罪者には裁判所で実刑判決を受けてさせて反省してもらうことが必要なのだという事を少し大人になったボクには理解出来るようになりましたけどw。

速度超過による道路交通法違反の罪状で公判請求され暫くしてから裁判の日がやってきました、予定時間より早く着いたボクは慣れないスーツを着て東京地裁の玄関に入りました。不慣れなボクを玄関で迎えてくれたのは守衛さんです、まず金属探知器の中を通されます、20歳くらいの小僧が朝からこのような場所に来るのは怪しいらしく怪訝な顔で”どのような用件で?”とのこと、裁判の被告として来所した旨告げて自分の裁判が行われる時間と法廷の確認をして中に入って行きました。当時はまだ新しく清潔なところでしたが裁判所というのは殺風景です、時間を持て余したボクは見るべき所もないのでボクの裁判が行われる法廷に入って他の裁判の傍聴する事にしたのです。

そこで行われていたのは覚醒剤取締法違反の裁判でした、裁判官に向かって右側の被告人席にはいかにもその筋の人らしい方が座っていました、傍聴席にもそれらしい人々がちらほら・・・、黒い法衣を着た裁判長が告げます、”被告○○を懲役○年に処す”、結審した後にその被疑者の方は両手に手錠を掛けられてそこから伸びた縄を廷吏に繋がれて裏口のような所から外に出て行きました。「これはヤバイ所に来たものだ・・・」、もし実刑で執行猶予が付かなかったらボクもあんな感じに・・・?、少しばかりの不安が頭をよぎります。

罪を認めているボクの実刑は確定しています、弁護士からは取りあえず反省の態度だけ見せてくれと言われています、いよいよ自分の裁判の時間になりまず検察側が罪状を長々と話し懲役3ヶ月を求刑してきました、その後ボクが一通り反省の弁を述べて午前中は終了しました、判決は当日の午後です。判決まで時間があるのでいったん大学に戻りました、授業受けているボクの慣れないスーツ姿に友人達がなぜそんな格好をしているのか聞いてきました、さすがのボクも裁判中だとは言い難くて適当な返事をしていました、もしかしたら手錠に繋がれてあちらの世界に・・・、「お前らとまた会えるのも暫く先になるかも・・・」、なんて少しは考えながら。

午後になりもう一度東京地裁へ、2回目の来所だから慣れたものです、守衛さんに軽く会釈をして金属探知器の中を通って自分の法廷へ、暫くして裁判長が中に入ると全員起立です。”被告○○を懲役3ヶ月の刑に処す・・・・、但し刑の執行に2年の猶予を与える・・・”。この場で手錠を掛けられて縄に繋がれて裏口から帰る事にはなりませんでしたが今後2年間罰金以上の刑に処された場合には刑務所行きが確定しました。

それでも執行猶予が付いたとという事は無罪も同然です、スピード違反をしても罰金すら払わなくて済んだのです、ボクは当時そう考えていました。

裁判所では反省の弁を述べたものの実際は反省の一かけらも無いボクはその後友人達と仙台に行きました、車で往復300km程のほぼ全てをボクが運転し東北自動車道のほとんどをリミッターを効かせながら走っていたのです(時効ですからねw)。帰り道少し疲れたボクは友人と運転を交代してもらいました、東北道福島県のまっすぐな直線を助手席でウトウトしていたボクの車に取り締まり中のパトカーが止まるように指示を出しています、運転を代わった途端にネズミ取りでした・・・、もし代わっていなかったら刑務所行きです・・・。

ちょうどその頃ボクは自動二輪中型の免許を取りに教習所へ通っていて実技教習も終わり後は試験を受けるだけの段階になっていました、今回の違反で90日の免停になると予想したボクは免停期間が終了してからまた試験を受けるのが面倒くさくなってしまって教習所を辞めてしまったのです。裁判で判決を受けて数日後に府中の自動車試験場へ行政処分を受けに行ったボクに行政官は言いました”その違反で懲役はひどい目に遭ったね〜、可哀想だから停止期間は30日にしてあげるよ”、やさしい役人ですw。

免停期間は短くなりましたが公判中にボクは裁判官への心証を良くするためにソアラは売るつもりだと証言していました、だからその頃はもうソアラは手放していたのです、車も無いので免停講習も受けずに30日間過ごした後に買ったのはマツダRX-7カブリオレという車です、ソアラより速い2人乗りのオープンスポーツでした。

今では絶滅してしまったRX-7で相変わらずの運転をしていたボクですが以前に比べ高速以外では無茶な運転はしなくなっていました、何だかんだで反省はしていなくても制限速度の3倍以上はヤバイという事を身体が覚えたようです、お陰でその後はスピード違反で捕まる事も無くなり無事に猶予期間である2年間を過ごす事が出来ました、晴れて無罪の身となったのです。刑の執行を猶予されたのだから実刑判決を受けなかったのと同義である、この様にボクは考えていたのです。

時は流れて大学を卒業する時期となりました、勉強が好きではないくせに学校が好きで規定の年度以上大学に在学していましたが、ボクの業界では大学を卒業しただけでは社会人として働く事が許されません、国が執り行う試験に受かる必要があるのです。国の行う試験には当然受験資格の項目がありその中に”罰金以上の刑に処せられた事の無い者”という項目があり該当者は刑の概要を申告し反省文を添える必要がありました。懲役刑は罰金以上の刑です、但し処せられたという事は刑が執行されたという意味にもとれます、ボクは自分に都合の良いように解釈して申告せずに試験に臨んだんです。

その資格試験は平均80%以上の合格率で現役で受験する者のほとんどが合格する比較的簡単な試験です、それでもボクは不合格でした・・・、ボクにとっては裁判所で実刑判決を受けた時と同じくらいにショックな出来事だったのです。それからはいわゆる浪人生活の始まりです、夜型人間のボクは昼間に勉強する事が出来ません、日中をパチンコ屋かゴルフ練習場で過ごし夜だけ少し勉強するという今で言うところのニート様な生活が1年間続きました、そして翌年再び試験を受ける事になりました。

その年は去年気になった受験項目の”罰金以上の刑に処せられた事の無い者”という点についてボクは監督官庁に問い合わせたところ申告する義務があり虚偽申告では資格喪失に該当するとの事でした、裁判所に行って判決の籐本を取り反省文と推薦書を提出して試験に臨みました、幸いな事に今回は無事試験に合格する事が出来て晴れて社会人になり今に至ります。

もし最初の年で受かっていたらボクは虚偽申告をした事になります、資格喪失となる危険があるのです、ボクの業界で資格喪失となるという事は即引退を意味します、・・・最初の年で受かっていなくて良かった・・・。

もし自動二輪の免許を持っていたら当然バイクに乗っていたでしょう、身体は頑丈な方ではないけれどボクはいまだにスピードが大好きです、怪我していた可能性が大です、場合によっては怪我ではすまなかったかも・・・。

今のボクは20歳の頃のようにどこでも無謀な運転はしなくなっています、制限速度の3倍以上はヤバイって身体が覚えているからです、あのままだったら自分が誰かの身体を傷つけていたかも知れません、傷つけるだけではすまない事の可能性も・・・。

未だに反省をしているというわけでは無いしあの時に裁判所送りにした検察官への怒りはまだあります、実刑判決を受けたショックや試験に不合格だったショックも忘れられるものではありません。それでもあの時に実刑判決を受けたお陰で無事に今を生きる事が出来る、最初の時に不合格であったお陰で資格喪失になることも無く無事に働く事が出来るのです。

その時には自分の不運を嘆いていても結果としてはすべて良い方向に動いていたんだと、40歳を超えて思えるようになってきたのです。これから襲われるだろう不幸な出来事も、結果としては全て良い方向に動くものだとも思えるようになりました。"全ての事は良い方向に”、ただ単に楽天家なだけなのかも知れませんけどw。

浪人中毎日行ってたパチンコ屋で常連のおばさんがボクに言いました、”アンちゃん若いんだからこんな所にいたらダメだよ、しっかり働かなきゃ!!”、「おばちゃんご心配なく、ボクはこうして毎日働いています」。裁判所で初老の検察官はボクに言いました、”制限速度を遥かに越える速度で走る行為は殺人罪に当たる重罪だ・・・重罪に値する”、「殺人?、おかげさまでその正反対の職業に就く事が出来ました」。

ボクは心の奥では若い頃と変っていないと思っています、変っていないと思いながら昔を懐かしみ今との違いを認めようとしないボクもいます、ボクの事など覚えていないだろう人々の事をボクは覚えています、でもボクの事を思い出す人々の事を忘れているボクもいます。

成長しているようで成長していない今のボクは成長していないようで成長しているのかも・・・?、辛い事も結局は糧になっている、ただ辛かっただけの事もある、何を覚えていて何を忘れているのか、人生とはそれだけの事なのかも知れません。

これからも悩んだ気になって実は悩んでいない人生を送って行こうかと思いますw。
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by drkato | 2007-07-13 00:45 | その他